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2005年1月 7日

大水木しげる展

江戸東京博物館で開催中の「大水木しげる展」に行ってきました。キャラ満載の会場の為、今回は写真は無しです。

間もなく東京での会期終了間近の平日の午後。冬休み中とはいえそれ程見学者はいないだろうと思ったのが間違い。水木しげる先生を侮るなかれ。まさに老若男女、幼児から老人まで多種多様の人々が続々と入場中。きっと、本展示の方から流れて来た人もいるのだろう。そういう連中は軽く眺めて出て行くに違いないと入場門をくぐってびっくり。トップを飾る描き下ろし人生絵巻に続く列。皆、絵巻を凝視しながらゆっくりと進んでいく。水木人形の笑い声を背後に聞きつつ、並ぶこと暫し。ようやく絵巻の頭に辿り着く。面白い。シンプルな絵ではあるけれど、惹き付ける力は絶大。絵巻の上に貼られた説明を読みながら絵を見ていくと、確かにこれは牛歩でしか進めぬ。親に説明を求めながら、子供も見つめている。召集令状の付近から年配の方の歩調が落ちるのは、胸に去来する思いのせいだろうか、などと想像しながらも、こちらも更に水木ライフにどっぷり浸かっていく。見終わるのが惜しいような至福の絵巻とでも呼ぼうか。いや、癒し系のような内容では決してないのだが、この水木磁場にいることに高揚感と心地よさの両方を感じる。絵巻最期の「自分が幸せ者になっていることにようやく気づき」のくだりでは、思わず微笑んでしまった(既に仕掛けにはまったか)。
さて、この短い時間ですっかり水木モードにされてしまった見学者は、次に更なる詳細な人生図を辿っていくことになる。
圧倒的な筆力で描かれる十代時代の絵の数々。描きたいと思うその情熱を、そのまま表現できる技術を持っているといえばよいのか。感じるのは迫力。絵に力があるという意味を初めて身体で感じたような気さえする。ショーケースの中の開かれたページ以外の箇所を開きたい!という願望を抑えつつ(いや、無理矢理ケースを開けてようとまでは思わないが)、次から次へと目の前に続く絵に流されて深淵にと進む。
戦争が始まる。生死の境を描く戦争漫画の原稿等を食い入るように見つめるのは、やはり年配者が多いように思える。この辺から戦後の紙芝居生活のあたり、子供は少々退屈気味。展示の前に釘付け状態の父親を引っぱり始める姿があちらこちらに。そう、大人は動けないのです、絵に惹かれて。
「俺だって、もちっと絵が巧かったら、戦後こういうんで儲けたのになぁ」なんて話し合ってるじーちゃん二人の前にある貸本時代の展示から様相は一変。鮮やかな貸本を並べた後ろは妖怪世界。ついさっき「お腹減ったよぅ。もう出ようよぉ」とぐずっていた男の子が「あっ、鬼太郎だ!」と走って行った時は、思わずちょっと臭い演出かと思ったほど。霊界輸送機の「調整中」に笑う夫婦、大海獣の写真に思わず「すげぇ!」と叫ぶおじさん、妖怪写真機を口を開けて見つめる子供。完全に水木ワールドに取り込まれた人々がそこここで楽しそうにしている様は、こちらまで嬉しくなってしまう。傍らにある鬼太郎の家さえ、嘘っぽくは見えなくなってくる。
妖怪絵の後半、江戸時代等の妖怪絵巻や本の展示がしてある。奇麗だ。やはり印刷物で見るのとは違うなぁ、とショーケースに吸い付いていたら、意外と皆ここは素通り。時折子供がガラスにはり付くが、半分と見ないうちに飽きて行ってしまう。ふぅん、水木展とはいえ、こっち好きの人ももっと居ると思ったのだけど。偶然この時間にいないのかな、とふと横を見ると、子供の付けた手あかをティッシュで拭き取る男性約1名。どうみても係員ではなさそう。さて、次に進もう。
ここで面白いもの発見。調布図書館の冊子の表紙を水木しげるが描いているのだ。これが非常に良い。生活密着型妖怪図という風情。ゴミ収集車の収集風景をバックに、ゴミ袋から魚を骨を抜き取っているネズミ男の表紙など、思わず頬擦りしたくなるような愛らしさ(表現が不味いかも)。しかし、この一連の冊子は帰りに買った図録には掲載されておらず。東京展のスペシャルかも。残念。
鬼太郎の懐かしグッズコーナーは、大人はため息まじりに「あれ持ってたよなぁ」とつぶやく。子供は「あれ買って」と無いものねだり。隣、水木コレクションの仮面や妖怪フィギュアにいたっては、ただただ指をくわえて見つめるのみ。虚ろに「麒麟」を眺めていてふっと、我に返る。周りは同じようにひたすらフィギュアに吸い寄せられるおじさん達ばかり。いけない、変な世界に巻き込まれてしまう。現実に戻ろうとお土産コーナーに走る。
初めて大きなサイズで見た妖怪道五十三次に心惹かれた私は、絵はがきを買おうとした。しかし、いざとなると選びきれない。セットで買うなど言語道断。うーん。後ろでは複製画のセットを眉間に筋寄せて見つめているおじさん。買う決心か、飾る場所が無いのか。お互い辛いね、などと勝手に同志扱いをしておいて、結局原画集で妥協したのは私。
楽しかった。展覧会に行って楽しいというのは初めてではないだろうか。魅力ある絵やキャラというものは本当に人を楽しませる力を持っているのをしみじみ実感。コンサートや映画に行くのと同じ効用あり。これはもう「娯楽」と言ってよいね。ほどほどの混雑ぶりも良かった。あまりに混雑している展示会は観るのに労力を要するから辛い。見学者の質も良かった?いや、それは水木しげるの魅力のせいか。
以上、もしや展示物よりも見学者の観察記録の記述の方が多かったのではなかろうか、という反省を軽く流しつつ、満足満点の水木展報告でした。