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2005年3月17日
お地蔵様
特に街角などで見かけるとドキッとしてしまいます。想いとか願いなどがまだ血肉を持っているように生々しく存在しているせいでしょうか。薄められていない祈りがストレートに発散されているような、とても角ばった空気が漂っているように感じます。彫り上げられたばかりの石の感触も堅そうな様相。人間に作られたばかりで、まだ人間寄りのお地蔵様とも表現したくなるような、そんな未完成の危うさと想いの強さが入り交じって、眺めていて気が重くなるのです。
年月を経たお地蔵様は落ち着いて見えますね。
もともとこめられていた様々な祈りや想いを昇華し終えた、静けさがあるように思えます。その時その時で祈られたり願をかけられたりもしているのでしょうが、彫り上げられる時の想いにくらべれば幾分柔らかに吸収されているのではないでしょうか。もしかしたら、もうそんなものはどうでもよい境地に行ってしまっているのかもしれません。掘られた石は人間の想いを越えて、ようやくお地蔵様になるのでしょうか。
今日は彼岸の入りです。